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Part3-1 最終編 赤穂城址(兵庫県赤穂市)〜横浜青葉
ついにツーリング最終日、天気は朝から小雨が降ってます。前日に赤穂市内での観光を済ませていて
良かったです。わずかな時間ではありますが赤穂城をバックにBMWの記念撮影をしてきました!
赤穂市内にはお城と播州赤穂駅の中間地点に、忠臣蔵ストーリーの一端を後世に伝える「息継ぎ井戸」
はあります。
赤穂から横浜青葉まで580キロ、週末の東名高速上り線は神奈川県秦野付近で渋滞が夕方に発生します
ので渋滞に合わないように、朝、早めに兵庫県赤穂市を出発しました。
<赤穂藩とは?。。。>今から約400年前、1615年にできた赤穂藩。池田家の後1645年浅野家が藩主となり、第3代藩主浅野内匠頭が
1701年江戸城中で吉良義央に斬りつけ切腹となり浅野家は改易となってしまいます。その後は約165年間、森家が代々藩主として赤穂
を治めました。1702年に元禄赤穂事件=忠臣蔵として後世に知られることになったのは皆さんもご存じかと思います。
赤穂を浅野家が統治したのはわずか16年ほどだったのです。大石内蔵助をはじめとする家臣たちは、さぞ悔しかったでしょうね。
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松の廊下事件を知らせるため二人の使者は |
江戸からここまで早駕籠で4日間半かかり |
この井戸で水を飲み一息継いで赤穂城へ |
現代だと 車で約7時間で着いちゃいますよー |
赤穂城址をバックに |
2台揃って記念撮影 |
山陽道 赤穂インターチェンジ |
新東名は快適です |
最後の休憩地 足柄SAです |
こうして最終日、山陽道赤穂IC〜名神高速〜新名神〜伊勢湾岸〜新東名〜東名を走って無事帰ってきました!
10周年記念の第20回ツーリング「しまなみ海道・道後温泉・赤穂」ルートは往復1640キロ。
瀬戸内海の絶景、「城」や「塩」のキーワード、昔の日本の都市や産業を感じさせてくれた歴史探訪の旅でも
ありました。日本ってまだまだ知らないところがたくさんあるなぁと。。。
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<Ps・・>出発前のルート作成時、しまなみ海道と道後温泉はすぐに決まったのですが、2泊目の宿泊地は
何処にしようか悩み、いくつか候補があった中で赤穂を選びました。日本地図を見ていて偶然見つけ距離的
なことと地名になんとなく引かれて決めました。
後でわかったことですが松山と赤穂はその昔、関係があったことを知り不思議な縁があったのかなあと。。。
元禄15年1702年討ち入り果たした赤穂の四十七士のうち、大石主悦(ちから)他10名が預かりとなり
切腹したのが、なんと伊予松山藩松平定直の江戸三田中屋敷(現在のイタリア大使館)ということ
だったのです。なんか歴史ロマンを感じちゃったツーリングでした、チャンチャン(笑) The
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