VFYA BMW Owner's Club 特別レポ
特別レポ「Don't Give Up Tohoku」復旧支援編
   2011年3月11日 東日本を襲った大震災
過去に経験したことのない未曾有の被害をまのあたりにしました。
被災地の仙台へ微力ながら復旧のため支援に行ってきたことを
VFYAHPでは事実の一端をレポートとして記録しておきたいと思います。
3.11 東日本にM9.0、震度7の大地震が発生

3.20 東日本大震災から9日目の夜1本のメールが届きました。
地震で被害を受けた仙台の実家は想像以上、復旧のため4月上旬に再度仙台に向かうと。。。VFYAのメンバーであるpanserから。インフラの寸断が激しく仙台へは公共交通機関といえばこの時点でバスによる移動だけです。
3.28 仙台では電気は通じるものの、水道、ガスは不通。お風呂はもとよりトイレや手洗いもできない。厳しい状況でした。準備段階からポリタンクを確保しての水、食料の調達、耐震金具、工具の用意などをして、不便を承知でpanserは仙台行きを一人で決めていました。そうは言っても割れたガラスの掃除や家具の移動、壊れた廃棄物の搬送など人手があればそれなりに作業がはかどります。そこでVFYAの私ことNokoty&ぱくぱくスタジオのメンバーが手伝うことになりました。そして4月8日の出発に向けて3人はそれぞれ準備を開始しました!

3.31 東北道は3.24に全線通行できるようになったものの被災地でのガソリン事情は改善されず、現地では給油が容易でないことがわかっていました。仙台市内では前日から並んでやっと給油できたとのことですから、地元の人に迷惑をかけること、帰ってこれないという事態になりかねない状況でした。そこで燃費の良いプリウスをレンタカーで借り往復しようというアイデアを考えていました。出発から10日前になってもガソリン事情は好転しないこともありpanserはレンタカーをついに予約したのです。

4.5 ガソリン事情が一挙に良い方向に改善されたという情報により、出発3日前にレンタカーをキャンセルして、VFYAのBMW我がロケットパンダ130号が1台で発進することが決定しました。

4.7 出発日前日 4.8の朝5時横浜を出発ということもあり、前日の夜は早めに寝ました。。。が
なんと4.7の23時32分、携帯電話のエリアメールが鳴り響き目が覚めたのです。あの嫌な音です。。。
宮城県沖を震源とするM7.4の震度6強の地震が起きたのです。東北道は全線通行止めになりました。明日朝までに開通するかどうか、はたまた仙台までたどり着けるのか一抹の不安はあったもののとりあえず私は寝ました。もう1人のぱくぱくスタジオのメンバーは何度も心配でメールして眠れなかったのにpanserは爆睡だったのです(笑)

2011.4.8〜4.10 横浜〜東北自動車道
4.8 当日の朝5時の出発時間がやって来ました。
出発時点では東北自動車道は宮城県の白石ICから先は通行止めでした。
宮城県の白石ICから一般道で仙台に行けることでとりあえず出発!首都高は順調、東北道は通行する車が少なかったです。ガソリンはSAで小まめに給油していこうと考えていましたが全然並ぶこともなく普通に給油できて、ちょっと拍子抜け。ガソリン事情が改善されていることにとても安心しました。
栃木県から福島県に入ると地震による道路補修のデコボコがあり50キロの速度制限がありました。ガソリンを運ぶタンクローリーが引っ切り無しに走行し自衛隊の災害救助の装甲車両が目に飛び込んできます。復興支援に尽力されている自衛隊の人達が頼しくもあり、また被災地に向うのだという緊張感もまた高まってきました。

BMW130に義援ステッカー!

後部座席は一人座るのがやっとです

東北自動車道を北上開始

補修だらけの高速道路 スピードに注意!

自衛隊の災害復旧車両が走っていました

車窓からの蔵王連峰 きれい♪

東北自動車道 福島県国見SA

ガソリン事情は改善されていて ホットします

緊急車両優先のお知らせです

宮城県白石市〜竹駒神社
普段のペースより少し時間はかかったものの宮城県白石ICで降り仙台に向います。途中、竹駒神社に立ち寄り、安全祈願をし、panserの家のお墓のあるお寺に寄り墓石も見てきましたが、幸いお墓は大丈夫でしたが、かなり多く倒れている石もあり地震の凄さを感じました。

宮城県岩沼市 竹駒神社駐車場に到着

日本三稲荷の一つです

地震のため灯篭が無残な姿に

宮城県 仙台東部道路〜名取市〜仙台市内
その後、仙台市内に向う途中、津波の被害を受けた仙台東部道路を通行し仙台空港周辺の名取市を通過しました。想像を絶する光景に言葉もありません。その道路を車で走っていましたが、なぜか不安からか息苦しさを感じたのは事実です。でもってやはり腹は減っては戦はできぬということで、昼食の場所をさがしました。かなり外食レストランも営業を始めており、お腹も満腹になりありがたい限りです。ここでトイレも済ませ、いざpanserの実家へ。

仙台東部道路へ

津波の被害を受けた仙台空港付近

津波の爪あと

倒壊した家屋があちらこちらに

道路脇にはがれきの山

仙台市内も道路が陥没していました

宮城県仙台市内 その1
いざpanserの実家に無事到着!まずは壊れたガラスやテレビなどの電化製品を車に積み込み臨時廃棄物集積場へ運びました。なんと普通の公園が瓦礫の山となり、すさまじい光景にビックリです。

家に到着

壊れた置物のうさぎさんが寂しげ

ほとんどの家具が倒れてしまったそうです

ガラスや壊れた家具などを運びます

特設の廃棄物置き場に到着

ここは普段は公園なのです

BMW130活動中!

すごい量です

すぐ目の前がマンション

宮城県仙台市内 その2
仙台市内のホームセンターを何軒か周り、その一つのお店の様子です。店舗は使えず屋外のテントにて、限られた物品を販売していました。 

ホームセンターへ

露天販売です

ポリタンクを購入 レジもありません

宮城県仙台市内〜東北自動車道〜横浜
仙台市内のホームセンターは営業を開始しているお店もあり、横浜では売り切れとなっている耐震補強金具が売っていました。余震が続く地元の皆さんは日々の生活をするのが先決で金具を取り付けるまでの余裕はとてもないのではないかと思いました。
倒れた家具の耐震金具の取り付けや部屋の清掃などを順調に行い、1日目の夜は、持参したレトルト御飯やカレーを食べて、2日目の夜は牛タンを食べに外食♪とてもおいしかったです。ガスが使えないのでもちろんお風呂にも入れず、余震の続く中、ヘルメットを枕元に、すぐに飛び出せる服装で寝るというちょっとサバイバルな2泊3日の仙台への復旧の手伝い。最終日はとても爽やかな青空の中、仙台をあとにして無事横浜に帰ってきました!

工具と部品

家具を整頓

耐震金具を取り付けました

クサリでの固定も完了です!

二日目の夜は利休さんで牛タンです♪

帰りの東北自動車道 福島県国見SA

栃木県那須塩原市 黒磯PAにて

東北 ファイト一発!

横浜無事到着 お疲れさまでした!

今回被災地である仙台に行き、非常に厳しい生活を強いられている地元の皆さんにお会いして
お話させていただいて、とても皆前向きで明るかったのが印象的でした。
私自身かえって元気をもらった気がします。とても良い経験ができたことに感謝しています。
ぱくぱくスタジオのメンバー、仙台のpanserのお友達、本当にお疲れ様でした!
これからも一歩一歩、前向きに元気に何かできることをやっていければ良いなと思います。

東日本大震災の被災地、被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。Don't Give Up Tohoku    by nokoty

P.S
ライフラインの水道は4.8に復旧工事がありました。
敷地内の水道管の損傷箇所が多く工事が終わったのは夜9時ごろ、ようやく蛇口からの水で手洗い、トイレもバケツの水で流さなくて済むようになりました。なんとありがたいことかと思いました。水道は震災から28日目に復旧。

そして、4.15震災から35日目にようやくガスが復旧したそうです。
お風呂に入って心身ともに癒してほしいと思います。お体を大切に!

BACK

Copyright VFYA PROJECT